イベント名:映画と話そう@TAMA#12 『ダイビング・ベル/セウォル号の真実』

映画と話そう@TAMA#13 『ダイビング・ベル/セウォル号の真実』

9月24日土曜日(開場15分前) 1回目上映 16:00 / 2回目上映 18:00

 韓国/2014年/77分/ブルーレイ上映
 共同監督 | イ・サンホ、アン・ヘリョン
 制作 | アジアプレス、シネポート
 上映履歴 | 2014年第19回釜山国際映画祭、2015年福岡アジア映画祭
 日本上映会 HP | http://artistaction.jimdo.com/

水面下に沈んだ事実解明へ向けた声なき死闘!
2014年4月16日、476人の乗客を乗せた旅客船「セウォル号」が全羅南道珍島郡沖で沈没した。事故による死者は295人、行方不明者9人、捜索作業員は8人が犠牲になった。 船には修学旅行中の檀園高等学校の生徒325人が乗船しており、若い多くの命を失った。韓国の国立海洋調査院によると、現場周辺に目立った暗礁はなく、当時の視界は良好、波高約1mと、航行の安全に影響するような自然条件はなかったという。 事故の原因は不法な過積載による重量オーバー、運航の困難な海域に船長が席を離れ経験未熟な三等航海士が舵を握ったことなどが挙げられている。事故発生時に乗組員が乗客を適切に避難させずに船室に留まるよう指示したのも、 犠牲者を増やした原因として指摘されている。しかし、これほど多くの被害者を出した背景には、これだけでは説明しきれない現実があった。 事故から4日目、珍島の彭木(ペンモク)港に到着したイ・サンホ記者は、テレビや新聞の報道とは異なる”現実”を目の当たりにする。「史上最大の救助作戦」「178人のダイバーを動員」といった勇ましい当局の発表とは裏腹に、 救助のできない海洋警察、責任を回避する政府、現実を伝えないメディア……。結局、時間をかけてゆっくりと沈み行く船を目の前に、救助もままならず死者は増える一方だった。 セウォル号事件とは何だったのか。その真相を突き止める渾身のドキュメンタリーだ。

釜山国際映画祭と映画『ダイビング・ベル』
セウォル号事件のタブーに触れた本作は、2015年10月に行わた釜山国際映画祭でも波紋を広げた。釜山国際映画祭の組織委員長を務める釜山市の徐秉洙(ソ・ビョンス)市長が「釜山国際映画祭の発展のために、 政治的な中立性を欠く作品を上映することは望ましくない」とし、本作の上映の中止を求めたのだ。映画祭のプログラムに対して行政の長が意見するのは前代未聞のことだった。 すでに審査を経て上映が決まっている作品に対して市長が中止を求めるのは、言論弾圧であり表現の自由を脅かすものとして、映画界だけでなくメディア界からも非難された。結局、上映は行われ、チケットは完売。観客から多くの喝采を受けた。 しかし、今年2月、徐市長は上映に踏み切った組織委の李庸観(イ・ヨングァン)執行委員長を事実上、更迭した。釜山市が監査の過程に問題があったとし、李氏に辞任を要求したのだ。映画界は「報復人事だ」として大きく反発。 同月25日に開かれた組織委の総会では、出席らが李氏の再任を求めたが、徐市長が強引に閉会宣言をし、総会を終了させてしまった。96年から20年の歴史があり、 アジアの代表的な映画祭となっている釜山映画祭への政治の不当な介入に対しては、韓国だけでなく外国の映画界からも批判の声が挙がっている。

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9月24日土曜日 タイムスケジュール(開場15分前)

16:00 1回目『ダイビング・ベル』上映 (トークなしで入替え)
18:00 2回目『ダイビング・ベル』上映 (トークなしで入替え)
19:30 懇親会 1時間 アン・ヘリョン監督

入場料:¥1,500(各回入替15名)
懇親会:1ドリンク軽食付き¥1,500
会場内飲食:ドリンク250~500円、スナック100円
※価格は全て税込、全席自由、各回入替
場所:ダイニングバー・モンキーランド
多摩市豊ヶ丘1-11-1
(小田急・京王多摩センター駅東口から徒歩15分)
詳細地図と写真による道順
mark 予約: ネット予約は終了しました。
当日のお席は若干ございます。直接お越しください。
mark 主催: たえのは 電話:050-5891-1977
上映会チラシ両面チラシ(pdf 569K)

予告編

懇親会 ゲストプロフィール

9月24日土曜日 懇親会 19:30(1時間) 

アン・ヘリョン監督

「韓国社会の構造的矛盾を解くきっかけとなれば・・・」
1990年代半ば、ビデオジャーナリスト第1世代として活動したアン・ヘリョン監督は、社会問題に対する関心を幅広く表現する映像ジャーナリストであり、数多くの作品を記録した。 特に、在外コリアンたちへの広い理解と関心を寄せていたアン監督は、進歩的ジャーナリストグループの「アジアプレス」で活動、東アジア地域を横断し、在日コリアンの民族教育問題、 忘れさられた韓国映画史の記憶などに関する作業を丹念に行ってきた。2002年の『沈黙の叫び』、2003年の『いまでも消えない傷たち』などの制作を通して、継続的に慰安婦問題や在日コリアン問題で先頭に立ってきたアン監督は、 2007年、朝鮮人元慰安婦・宋神道(ソン・シンド)ハルモニの10年間に及ぶ裁判と闘争を描いた長編ドキュメンタリー『俺の心は負けていない』を通し、観客に深い感動を贈った。

多摩戦争遺跡調査

安海龍監督からのご依頼で多摩地域の戦争遺跡、朝鮮人強制連行遺跡を案内しました。
最初は、高尾駅南にある陸軍によって掘られた、全長10キロメートルにもおよぶ「浅川地下壕」です。 太平洋戦争末期、中島飛行機武蔵製作所の疎開工場として使用されました。
トンネル掘削、施設工事には2,000人の朝鮮人が動員されたと言われています。

これから地下壕に入りますのでヘルメットが貸与されました。

壕内はところどころ長雨で近年にない多量の水が溜まっています。

足場が悪く、真っ暗なので足元を照らす懐中電灯が必需品です。

戦後54年経った1999年に工事用火薬3トンが発見された木箱の残骸。

次は、相模湖にある相模ダム。ダム工事には、朝鮮人、韓国人、日本人の労働者のほか、中国を侵略した旧日本軍に強制連行された中国人労働者300人も動員されたと言われています。

「湖銘碑」、湖を一望できる湖畔に建立され、台座の4面には、中国人と韓国・朝鮮人などの労働実態が史実に沿い中国語・ハングル・日本語の三ヶ国の文字で記述され、併せて殉職・犠牲となった83人の氏名も刻まれています。

相模湖記念館には、ダム工事に関わる多くの資料が展示されています。

ダム工事現場で使われた道具。
 「日本・韓国朝鮮人の殉職者殉難者名簿」には52名の名前がありますが、名前から推測して、「韓国朝鮮人の殉職者殉難者」は17人前後です。病死者(病死扱いにされた)の数は、はかりしれません。 逃亡者は多く、逃亡が見つかると死にいたるほどの暴行を受けましたが、「朝鮮」出身労働者の逃亡は後を断ちませんでした。 捕虜として強制連行され、相模ダム建設で働かされた中国人が287人いました。「中国人の殉職者殉難者名簿」には28名の名前があります。 その死因は、作業中の転落などの事故、大腸炎・結核などの病気のほか、自殺・精神病・警察取調中・不明などが書いてあります。

相模湖大橋脇の築山に建つ殉職者の「慰霊碑」には52人の名前しか記されていません。うち何人が「朝鮮」出身労働者かは不明。中国人殉難者の名は1名も記されていません。 碑文の内容にダム建設に関わる歴史的な記述や殉職・犠牲者の刻銘について不十分であるとして、厳しい意見が出され、新たに「湖名碑」を建立されました。

相模ダムは、相模原市中心部や横浜市、川崎市など神奈川県民の大多数にとって貴重な水がめの1つです。

映画と話そう@TAMA

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